毎日、仕事に家事に育児、本当にお疲れ様です。
シングルで子育てをしていると、ふとした瞬間に**「もう無理かもしれない」**と、心が折れそうになることはありませんか?
「自分が倒れたら、この生活は終わってしまう」 「子供に寂しい思いをさせて、本当に申し訳ない」
そんなプレッシャーで、常に胃がキリキリしているような感覚。 シンパパだった頃の僕もそうでした。そして今これを読んでいるあなたも、きっと同じような痛みを抱えているのだと思います。
今日は、僕がどん底だった時に少しだけ心を軽くしてくれた、**「ある心理学の考え方」**についてお話しさせてください。
専門的な話ではありません。 居酒屋で「まあ、一杯飲みながら聞いてよ」というくらいの気持ちで読んでいただければ嬉しいです。
「完璧な親」になろうとして自滅した過去
僕がシングルファザーになった当初、一番怖かったのは**「子供に不憫な思いをさせている」という強烈な罪悪感**でした。
当時、息子と娘はまだ小学生。 「母親がいないから不幸だなんて、絶対に言わせない」 そんな意地もあって、僕は必死でした。
誰よりも早く起きて完璧な弁当を作り、仕事は定時ダッシュで帰り、掃除も洗濯も手を抜かない。 夜は泥のように眠る…そんな日々を続けていたんです。
でも、人間そんなに強くありません。
ある日、仕事でミスをして、家に帰っても夕飯を作る気力が残っていない日がありました。 コンビニのお弁当をテーブルに並べた時、情けなくて、申し訳なくて、子供の前でうなだれてしまったんです。
「俺がもっとしっかりしていれば」 「やっぱり片親だからダメなのか」
そんな言葉ばかりが頭をぐるぐると回って、息をするのも苦しかった。 あの時の、胸の奥が押しつぶされるような感覚は、今でも鮮明に覚えています。
シンママの皆さんも、「私が父親役もしなきゃ」って、一人二役を演じようとして無理をしていませんか?

心を楽にする「認知の歪み」という知識
そんなガチガチに凝り固まっていた僕を救ってくれたのは、ある本で読んだ**「認知の歪み(にんちのゆがみ)」**という知識でした。
言葉は難しいですが、中身は単純です。 **「心が疲れている時ほど、物事を極端に悪く考えてしまう脳のクセ」**のことです。
当時の僕は、まさにこの中の2つのクセに支配されていました。
1. すべき思考
「親なら常に笑顔でいるべき」 「食事は手作りであるべき」 「弱音は吐かないべき」
自分の中に勝手な「厳しいルール」を作って、少しでもそこから外れると自分を罰していました。
2. 白黒思考(全か無か思考)
「一度失敗したら、すべてが終わり」 「100点じゃなければ、0点と同じ」
たった一度お惣菜に頼っただけで、「自分は父親失格だ」と決めつけていたんです。 でも冷静に考えれば、そんなことないですよね。
「60点で合格」にする勇気
この「認知の歪み」を知ってから、僕は少しだけ客観的に自分を見られるようになりました。
イライラしたり落ち込んだりした時、心の中でこう呟くんです。 「あ、今『〜すべき』って考えてるな。これ、歪みが出てるな」
そう気づくだけで、不思議と肩の力が抜けます。 そして、自分へのハードルをガクッと下げてみました。
- 部屋が多少散らかっていても、死にはしない。
- 今日は疲れてるから、お惣菜でもいい。
- 子供と笑ってご飯が食べられれば、それで60点。今日は合格。
そうやって「完璧」を手放したことで、皮肉なことに、家の中の空気は以前よりずっと良くなりました。 僕がカリカリしていなければ、子供たちも安心するんです。

完璧じゃなくていい、という「事実」
現在、僕は再婚して10年が経ち、当時の子供たちも社会人になりました。
先日、息子と酒を飲んだ時に聞いてみたんです。 「あの頃、父さん必死すぎて怖かったかな?」と。
息子は笑って言いました。 「んー、よく覚えてないけど、いつもバタバタしてたよね。でも、一生懸命なのは伝わってたよ」
拍子抜けしました。 僕がこだわっていた「完璧な家事」や「理想の父親像」なんて、子供にとっては割とどうでもよかったのかもしれません。
子供が見ていたのは、結果の「100点」ではなく、僕の「背中」でした。
最後に:あなたはもう十分頑張っています
もし今、あなたが「もっと頑張らなきゃ」と自分を追い込んでいるなら。 どうか、その「認知の歪み」に気づいてあげてください。
「〜すべき」という呪いを、少しだけ横に置いてみませんか?
あなたはもう、十分すぎるほど頑張っています。 誰も褒めてくれなくても、同じ道を歩いてきた僕には痛いほどわかります。
たまにはコンビニのスイーツでも食べながら、深呼吸してください。 親が笑っていること。 結局のところ、子供にとって一番の栄養は、それ以上のものはないんですよね。
それでは、また。
勇気なんて、そんな大げさなものじゃなくていいんです。 ただ『知ってみる』。それだけのことで、明日の景色が少しだけ変わるかもしれません。 10年前の私が、そうだったように。


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